コーチという仕事 2
何故?母が反対したかというと
打撃コーチは、チーム順位の責任を一番に背負わなければならないからでしょう
打撃に関して言うと、ティーチングではなくてコーチングしていかなければならないから
一人ひとりの選手に合わせて、スムーズにボールを捉える「コツ」や「感覚」を
つかませて、尚且つ成績という「結果」を残さなければいけないのです。
長島さんは、巨人のONという看板を背負っていることを十二分にも理解していましたから
バッティングに向き合う姿勢が違いました。
スランプの時などは、夜中の3時頃に電話が鳴り・・・
「コーチ!いい感じで振れているので見に来てください」なんてことも頻繁にあったようです。
「努力」できるから、アドバイスも聞いてくれる
しかし、全ての選手がそうではありません。
それぞれの選手の性格、適応能力など全てを加味した上でアドバイスしていかなければならない
何よりも「やる気」を引き出す作業に全力を尽くさねばならないのは大変な事ですよ・・・・
母の心配や不安も理解できます。
同じような事は、スポーツに限らず会社や学校などでも同じことは言えますけどね。
とにもかくにも、長島さんの打撃コーチ要請を受諾した父は激動のシーズンを過ごすことになる訳です
1975年・・・・
長島選手という大きな柱を無くした「ジャイアンツ」の再生を託されて担うことになるのです
サード長島の後継とされた富田選手、捕手には守備面では心配されていましたが強打が魅力の矢沢捕手など
有望な新人選手と、峠を越えた感があるV9を担ったベテラン選手たちを如何に融合させて
王者「巨人」を復活させることが出来るのか・・・・十分な時間は与えられていない
まさに「一か八かの船出」です。
続く
2010.07.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 野球
