東西冷戦ドイツ
東西冷戦下の東ドイツでは
Stasi・シュタージ(東ドイツの秘密警察・諜報機関)に監視され、その自由を拘束された市民が
自らその命を絶つ「自殺者」を
警察官僚の良心の呵責を減らすために「自己殺害者」と呼んで処理したそうだ
国家統計局が大学の成績優秀者の数や、会社の在籍者の数、交差点の時間別通行量までも
正確に把握していたにも拘らず
「自己殺害者」の正確な数は把握の対象にしていなかったという・・・
西側思想の芸術家などは厳しい監視の標的として
多くの才能と自由を奪っていたのだ
ベルリンの壁崩壊が起こる1989年11月10日(11月9日説もあり)から
市民生活は表面上の平穏を取り戻す
1990年10月3日に東西ドイツ統一を果たし
忌まわしい過去は葬られる事になるのだが
秘密警察や諜報機関の処理などに長年苦しむことになる
もちろん、東と西の経済格差の解消も同じだ。
自分の店の将来も決まっていない僕が言うのもナンなのだが・・・
憲法で保障された自由な思想を縛り、一方的に押し付けることは
反発を生み、それは地下に潜り込んで「先鋭化」し世の中に不安を残す
「シュタージ」や「ナチス」を面白半分に取り上げるのは適当ではないが
今の日本における政治の行方には、正直なところ恐さを感じている・・・
2012.02.17 | コメント(0) | トラックバック(1) | 政治
