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言葉で伝えるのは難しい



スポーツ雑誌「Number」において奥田英郎氏の記事に

ダウンスイングに関する記述があった

1975年に長嶋茂雄氏が監督として初采配を執った一年・・・

スラッガー長嶋の抜けた打線の穴を埋めるべく大リーグから招聘したデーブ・ジョンソン氏に対する

打撃指導の内容に関するものだ。

奥田氏曰く・・・・

当時の日本の打撃指導は「ダウンスイング」という形に囚われる事が多々見受けられた

それは、剣道などの武道に見られる「型」というものを重んじる傾向からだったという見解だった。

それでも、デーブ・ジョンソン氏はその指導法を米国に持ち帰り

「ダウンスイング」を練習時に意識することで、試合では「レベルスイング」になることに気付き

取り入れていたという。

「ダウンスイング」というと大上段からスパッ!と切り込むような(大根切り?)イメージだが

そのルーツは違う意図にある。

打撃の不振に喘いでいた王貞治選手の指導にあたっていた、荒川コーチが取り入れていた

「ダウンスイング」の指導法には、当時も賛否があったのだが

打撃指導の基本として球界に広まっていた。

日本刀を素振りの練習に取り入れ、身体の体重移動を大きくし(一本足打法)

強くボールを斬るように叩き、スピンをかける意図があった

結局この打法を「自分のモノ」にして成功を収めたのは、後にも先にも王貞治選手だけだった・・・

それは、持ち前の動体視力と強靭な肉体、そしてバランスの良い体幹が

その打撃法にピッタリと、はまったからに他ならない。

1975年当時、デーブ・ジョンソン選手に正しく伝えられていたのかは定かではないが

「型」にはまった指導法ではなかったことだけは確かだ。

デーブ。ジョンソン選手に打撃指導をしていたのは打撃コーチであった私の父と長嶋監督だったからだ

言葉の壁と大リーガーのプライド・・・・

この打撃の本当の意図を伝えられていたのかどうかは、その選手にとって適切な指導法であったのかは

成績でしか推し量れない。

そういえば、南海ホークスからジャイアンツの5番打者候補としてトレードされた

私の父も、王貞治選手と一緒に荒川道場の一期生として指導を受けていた。

選手として大成しなかった父は

指導を的確に伝えることの難しさを身に沁みて感じ取っていたに違いないと思っている。

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テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ

2011.05.30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 野球

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プロフィール

fukuda

Author:fukuda
1965年生まれ・・・
読売巨人軍が9連覇をスタートさせた年に生まれました
ジャイアンツのコーチであった父親をとおして
子供の目で見てきた「プロ野球」についても綴っていきます
批判も含めた、コメントをお待ちしております!

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