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島田誠さんの講演から気づくこと

以前、元日本ハムの島田誠氏の講演で父のことが語られた。

島田氏は1976年ドラフト外で日本ハムに入団したが小柄な体格から将来を嘱望されているとは言えなかった。
島田氏の話によると、1977年二軍の監督として就任した私の父から衝撃の一言があったという。
「君は次の仕事を考えているか?」と・・・プロの世界で将来の夢を描く初対面の青年にだ!
その一言に絶句していると続けて「プロの世界は甘くないよ」と突き放す様に言われたという。
実は、その当時のことを僕は憶えている。2軍の練習場に時折、父に連れられて行くことがあったからだ。
島田選手とお話をした事も憶えてる、サインを書いてもらったがハニカミながら楷書で書いていただいたものだ。
一軍には程遠い選手のように感じた。
講演によると、父は、とくに島田氏には厳しかったようだ。毎日毎日のノックの嵐!大柄な父のバットから放たれる打球は高く遠くへ飛ばされて「ヘトヘト」という表現がぴったりな毎日だったそうだ。
島田氏は「どうして俺が・・」と悩む毎日で辛かったと語っていた。
攻守、巧打の素晴らしい外野手としてゴールデングラブなど数々の賞をとっている島田氏だが最初の2年間は下積みと呼ぶのに相応しい毎日だったのだ。
大沢監督に1軍に呼ばれ活躍し現役を引退するまでの間、父の事を恨んでいたとも話していた。
時は流れて父がドラゴンズのコーチに就任し、病に倒れ引退するときに島田氏に一本の電話があったらしい・・・・
「君には辛く当たったが、出来るならばもう一度君のような選手を育ててみたかった」と父、福田コーチからであった。
「育て上げるんだ」という情熱が厳しさに昇華されていたのかと気づくと胸が一杯になったのを今でも憶えていると語っている。
負けん気の人一倍強かった島田氏のことを思い「とことん」辛く厳しく接していた福田2軍監督・・・・
次の仕事は考えているか?と言った心情に父の優しさを気づかされた。
確かに、プロ野球の世界で活躍し成功するのは容易では無い・・・
誰よりも努力し、しかも運がなければならないし怪我をする怖さもあるのだ。人生の中で選手生命はほんの一部だ、実は辞めてからの人生のほうがずうっと長いのだ。それを思えば子供を育て上げるように愛情と気持ちを込めて指導していかなければいけないんだ。その責任があるんだと痛感した。
僕から見れば父はプロ野球のコーチでしかなかった。
しかし島田氏の講演から父親のコーチとしての姿勢と愛情を知ることが出来たのだ。

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2009.03.31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 未分類

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プロフィール

fukuda

Author:fukuda
1965年生まれ・・・
読売巨人軍が9連覇をスタートさせた年に生まれました
ジャイアンツのコーチであった父親をとおして
子供の目で見てきた「プロ野球」についても綴っていきます
批判も含めた、コメントをお待ちしております!

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